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喪服の死神事件の被告人意見陳述を読んで感じたこと。

ジャンプ感想を書いているモノで、喪服の死神事件、「黒子のバスケ」脅迫事件はずっと気になっていたことでした。早く逮捕されて欲しい!と思う反面、最近、インターネットに公開された『被告人意見陳述』は、かなりの長文で、被告人の生い立ちなどに憐憫してしまう部分があったのですが、しばらく考えてました。どうも、長文はそれだけで有り難がったしまうところがあるのですが、色々と考えても結局、同情や理解の余地があるとしても…。

  • 社会や生い立ちの憤りを関係のない人を巻き込んで発散させてはならない。

という当たり前のことに行き着きました。しかし、だからこそ、苦しみが生まれたり、犯罪が起きる訳ですが、インターネットに公開された文章を読みながら、感じたことなどを書いてみます。

長くなるので結論を先に書いておくと、社会全体、黒子のバスケに関わる人々を巻き込まなくても、苦しさの原因を特定すれば、本当に攻撃や報復する対象はあり、もっと別の方法があったのじゃないか…ということです。もちろん、攻撃や報復は行ってはいけない部分ですが、苦しめられた原因と、苦しめる相手が捻れてしまった部分に、問題があると思いました。

以下から、読んだ記事と、引用と思ったことなどを書いていきます。

読んだ記事。

こちらの記事には、被告人の生い立ち等々に関して書かれてました。それぞれ注目した箇所を引用します。

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、

報復する対象は両親だったのじゃないか?と。暴力や殺人は行ってはダメですが、このあたりに原因があるとするならば、社会を驚かせるのじゃなくて、なんらかの方法で、両親を攻撃することはできなかったのか?苦しめた相手がハッキリしているのに、そこを攻撃できないのは、苦しみなのかも知れません。

実の親に苦しめられた場合に、その苦しみを解消する手立てというのはあるのでしょうか。恥知らずな子どもと思われても、無関係のマンガのファンを巻き込むなら、声を上げるべきは、ここだったのじゃないか…と。

自分が初めて自殺を考え始めてから今年がちょうど30年目に当たります。小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです。

敵はいじめた相手や、担任だったのじゃないか。ほぼ両親と同じ問題ですが、いじめた相手や、その親とか学校を巻き込んで声を上げることはできなかったのか?過去のことになってしまったいじめであっても、当事者の苦しみは残される場合もあると思います。

昔のことをほじくり返したり、現在のその人々を巻き込むのもいけないかも知れないですが、攻撃対象は、書店やイベント会場じゃなくて、学校でも良かったのじゃないか…と思いました。

以下は、黒子のバスケが標的となってしまった部分です。

「手に入れたくて手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。

なぜ、親や学校、いじめた相手と、現在でも特定できる相手じゃあなくて、マンガ家が選ばれてしまったのか。当然ながら、藤巻先生が、被告人の人生を狂わした訳ではなく。脅迫状を送ったり、毒物を仕掛けたり、行ったことは大規模なのに、本当に報復すべき相手には報復できてない…。

このあたりに歪みを感じます。私の場合は、どうせ捨て鉢になるなら、関係ない人を巻き込むよりも、関係ある人を巻き込むと思います。脅迫という行為は遠隔で行われ、実際、長い間特定されなかったことを考えると、本当に報復すべき相手に報復ができない「弱さ」に起因しているのだと思います。


ともかく。過去のことになってしまった、親との関係。学校でのいじめ。それらが原因で人生に憤りを感じ続けるなら、なんらかの形で報復する。例えば、ウサばらしでも良いでしょうし、学校の先生なら告発とかもできたのじゃないか…と。

しかし、公正な方法で過去の苦しみを払拭する方法は私は思い浮かばないです。親や、学校、社会に傷つけられた時に、法的根拠はなくても、苦しみから救われる方法を模索した方がいいのじゃないか、と思いました。

読んだ記事2。

  • 「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
    • はてなブックマークコメントしたこと:あと、3歩くらい先の世界に思える。刑務所の中で、できるだけ長く入ってた方がいいのじゃないだろうか。

先述の記事の続きです。量刑などに注目しました。以下は引用です。

量刑につきましては、自分は厳罰に処させるべきですし、それを切望しています。半分冗談で半分本気で申し上げますが、自分が望む刑罰は死刑です。自分に対する刑罰が最高で懲役4年6ヶ月というのはおかしいと思います。

たしかに、世の中を困惑させたことを考えると短いように思えますが、ただ一連の事件の中で人死が出なかったことは大きいと思います。以下のように書かれてます。

死傷者は出ていませんし、自分としても出ないようにやりましたが、

最近起きたインターネットの立ち振る舞いが痛々しい人が引き起こした事件と比べてみると、人を殺したか否かは非常に重要だと思います。引用部を信頼するなら「出ないようにした」で踏みとどまったのは、えらいとは言えないですが、非常に大事なことだと思います。


後半の記事を読んでいて、以下の文章に「救い」のようなモノを感じました。少し長いですが、引用です。

他の被留置者と仲良く話をしたりもできました。自分が人とまともに長く会話をしたのは本当に久しぶりです。少なくとも過去10年にはありません。若い被留置者と話していて「こんなにかわいい弟がいれば、自分はやらかしていなかったろうな」とか「こんなに明るくて、カッコ良くて、ノリの良い友人が子供の頃にいたら、自分の人生も違っていたろうな」などと感じました。自分の人間関係は逮捕前より充実しています。

記事の前半で書いた彼を苦しめたモノとは違う世界。もしも、刑務所の中に入って、精神の安定につながるなら、服役の意味が大前提ですが、4年6ヶ月と言わず、10年でも20年でも刑務所の中で暮らしたらいいのじゃないか…と思えました。

もちろん、あくまで「刑」なのですから、決められた期間しか入れない訳ですが、もしも、引用した記事にあるとおり、刑務所から出たら自殺するという言葉のとおり、彼が自殺にいきついたら、裁判も、服役も、死刑という制度も、その他色々、まったく意味をなさないと思いました。


二つの記事を読んでみて、喪服の死神が抱えたモノの大きさや、根深さを知りました。共感とか、理解とか、それらが甘っちょろく思える文章でしたが、起きた事件から感じたことは、何が苦しくて、どうすれば苦しみを晴らすことができるのか?逃げることができるのか?そういうことを考えねばならない…ということでした。

最後の引用部にあるように、彼を取り巻く人間関係が違えば、多くの人を巻き込んだ事件は、起きなかったのかも知れません。