大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

スポンサーリンク

新垣隆氏の会見で佐村河内守氏に対する悪意があると両親が言っていた。

以下の記事のテレビでの報道を飯時に観てました。

新垣隆氏の会見で佐村河内守氏に対する悪意があると両親が言っていた。うちの両親は、20代の頃から手話サークルとかをやっていて、聾唖者に対して理解もあるだろうし、「聞こえない」ということにも、私よりも考えは深いのだと思う。

しかし、新垣隆氏の発言に悪意があるというのは、意味が分からなかった。両親に、その真意を聞いてみても、良いのだけど、手話サークルをやっている両親は、まず、耳が聞こえない佐村河内守氏の方に立って考えたのかな?と思った。

そう思った時に、恐ろしくなった。

悪意に関する詳細は、実際に作曲活動を行ってなかった佐村河内守氏に対する言及の部分だった。実際には、初歩的なピアノ技術しかなかった、とか、そういう部分。どうしてそれが悪意なのか?と考えると、佐村河内守氏の信用に関わるからだろうか?私は、事情を詳しくしらないから、新垣氏の両親の呵責からの告白だと思っていた。

また、実際に佐村河内守氏が聞こえないのか?聞こえるのか?聾者を騙ったのか?というは、これから明らかになるのだと思うのだけど、もしも騙っていたとしたら、人としてやったらいけないことの一つだと思う。どのような表現が正しいのか分からないけど、障碍やハンディキャップなどに関わる部分は、非常に心の柔らかい部分が関わっていると思う。私は、今回のことで気付いたのだけど、「頑張っている障碍者は悪いことはしない」と、無意識で思っていた。その気持ちが、一段階で裏切られたのか、騙っていたことで、裏切られたのかは分からない。そもそも、今回の一件がなかったら、知らなかった人達だから、そんなにも心に突き刺さるモノではなかったのかも知れない。

一番、心に突き刺さったのは、あくまで私が受けた印象だけど、勇気の告白を行っている発言に悪意を感じて、そして、その大元の感情が、手話サークルなどをやっている関係で、作曲を偽装していた人に対して、「障碍者かもしれない」という部分が飛び越えたかもしれないという部分だ。おそろしい、非常におそろしい。「聞こえない」という部分がどれくらい真実なのか分からないけど、もしも、新垣氏の発言に感じた悪意というのが、障碍者に対する関心とか、善意だったら、非常に恐ろしいと思った。


もちろん、新垣氏は「共犯者」という表現を使っていたから、作曲の偽装の問題に関しては、どちらの立場に立って考えるかは、平等で人それぞれかもしれない。しかしながら、もしも、この事件に「聞こえない」という手話サークルをやっている両親が興味を持つであろう部分がなかった時に、どのような反応を示していたかが気になる。ただ、福祉に関わる人は、何があっても、そっちの立場に立つのじゃないか?と思える、何かが氾濫しているようなモノを感じた。

続報が、とても気になる。さっきから、頭がぐらぐらする。