大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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「フォ・アグラの肝を食べるなんて!」「パサパサして不味い…」

「フォ・アグラの肝を食べるなんて!」

「パサパサして不味い…」

あの日から、僕はペットを飼うのはやめた。

小学校最後の夏休み。その終わりの夏祭り。スポーツとゲームとスポーツゲームに夢中だった僕は、進研ゼミをやりながら、小学校の夏を過ごしていたが、特に恋愛などもなく、覚えたてのほにゃほにゃを時々しながら、過ごしていた。

夏休みの屋台。今は少なくなったが、当時はアヒル釣りなんて屋台があって、ガァガァと鳴くアヒルのひなが気になってやってみることにした。一回300円。プラスチック製のフックにうどんが引っかかっている。こんなのでアヒルが釣れるのか?と思ったけど、運が良かったのか、一匹釣り上げることにした。

家に連れて帰ると、家族は歓迎してくれたが、今はもう死んだ祖父が「そういうのはすぐ死ぬ」と言っていた。結果として、祖父の方が先に死んだのだけど、その時は、知る由もなかった。小学生だったけど、中2病が発症しかかっていた僕は、そのアヒルにフォ・アグラという真名を授けることにした。混沌より生まれし者という意味だ。

祖父の言葉は当たらなく、結果、祖父の方が先に死に、フォ・アグラはすくすくと成長した。中学校三年間を一緒に過ごし、高校になると部活の関係で、家に帰るのは遅くなったけど、フォ・アグラは僕を家で待っていてくれた。すくすくと育っていた。

「こんなに大きくなったから、今晩のおかずはフォ・アグラだな?」

と、父が時々、冗談を言っていたが、僕が高校三年生の時に、タクシーに轢かれて父も死んでしまった。僕は、奨学金と、父が死んだ時と、死んだ後に入ってきたお金で大学に通うこととなった。

そして、僕が大学二年生の夏。8年一緒に過ごしたフォ・アグラが死んでしまった。老衰だったのだと思う。その時、知ったのだが、フォ・アグラはアヒルの中でも食用の種類だったらしく、その名もドドスコスコスコ・ハリケーンミキサーという美味しそうな種名だった。

「食べた方が、フォ・アグラの供養になるのじゃない?」

と、僕が大学を卒業する前に死んだ母が、そう言ったので、躊躇いはあったのだが、専門のアイアン・シェフを呼んで調理して貰うことにした。なんでも肝が美味しいらしく、庭に生えた草だけど、自然のエサを食べ、そして、毎日散歩をしていたフォ・アグラは、さぞかし美味しいのじゃないかと思っていた。

「パサパサして不味い…」

ただ、痩せた肉と骨でとったスープは死ぬほど美味しかった。愛したフォ・アグラを食べることに抵抗はあったのだけど、食べた後に、あの夏を思い出して、涙が止まらなかったのだけど、だけど、僕の中にフォ・アグラが息づいたことが嬉しかった。そして、同時に、自分が多くの命に生かされていることにも気付かされた。

動物も植物も生きている。光合成とかできない僕たちは多くの命を頂き生きている。食べることからは逃れられない。だけど、せめて、頂いた命に感謝したい。回転寿司の100円のハマチを前にして、そんなことを考え、フォ・アグラのことを思い出していた。