読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

体罰(暴力)を肯定する人々と否定する人々と心の壁、溝に関する雑感。

連休があけて、話題になってました。以下の記事を読んでみて。

  • 浜松日体高校バレー部顧問体罰動画の反響を受けて - Togetter
  • 暴力を肯定的に考える人達もいるのか。その集団の中に耐えられない人がいて…不幸はそういうところに起きると思う。でも、行動を起こして。判断は社会がする感じかな。
    • 自分が平気なことを耐えられない人を信じられないって悲しい状態だと思うな。色んなレベルでやっているかも知れないけど。

これらの雑感をもう少し掘下げてみる。

体罰を肯定的に考える人達。

自分が平気なこと、自分が耐えられたこと、それによって成長できたこと。それらを踏まえて肯定的に考えるかも知れない。スポーツの場合は、結果が分かりやすく、体罰の結果、勝つ。練習に気合が入る。空気がよくなる(?)。非常に分かりやすい。

強くなること、勝つ事を目的とした時に、そのために行使される暴力は是であり、自分が平気なことは、了解の範囲なのだろう。では、彼らが耐えられないくらいの体罰、暴力を受けた時にどのような反応があるのだろう?

飴と鞭の理論。

実際に、暴力しかしない人であるならば、信頼もされないだろう。飴と鞭とは、痛さと甘さ、ギャップ、落差によって生まれる。暴力夫でも、たまに優しい。ちょっと前に、容疑者の段階で死亡したなんとかという状勢も、暴言と暴力と支配を繰り返していたらしい。

成長?

ただし、「痛さ」に耐えることや、その結果強くなることは、考え方によっては、成長とも言える気がする。体罰、暴力に耐えた自分は社会の荒波にもまれれても大丈夫かも知れない。

そして、体罰を行使する側も同様の世界に生きてきたら、それが普通なのかも知れない。

洗脳?

暴力のともなう指導や、それを受けてでも「勝つ」を目指したことのない人々は、私も含めて、それらが「洗脳」と思える部分もある。洗脳とは失礼だが、結果、犯罪を肯定している部分では、世の中のルールからはそれていると思う。

体罰に耐えられないことは弱い?

体罰肯定は、教師擁護側の意見の中では、体罰に耐えられないこと、また、動画でアップすることを「弱さ」と表現されていた。そこには、理解の壁、溝があるように思えた。

自分が平気なことがムリな人もいる。そのことを理解出来ないとき、体罰、暴力に関わらず『不幸』が訪れる。家の中で、家族の前でtinまるだしで歩き回ることが「普通」と思っていても、耐えられない人もいるだろう。私も耐えられない。


話がそれたけど、『体罰を肯定』する意見は、一つの意見として尊重するけど、それに耐えられないことを揶揄することは、尊重できない。

体罰が悪いことだ!の理解。

「俺は体罰されることは平気だけど、ムリな人がいるのも分かる。」だと、なお嬉しい。

体罰を肯定する側の理解。

「俺は体罰は反対だけど、それらを必要としている人々もいる。」という感じでありたい(私が)。ただ、もしも、私の大事な人が体罰の世界に入り込んで苦しんだ時は、こんな風に文字を打つだけじゃあなくて、実際に行動しないといけない。

耐えられない人への理解。

そもそも体罰は暴力であり、犯罪だから「弱さ」というのはおかしいのだけど、その結果が自殺などに到っている訳だから、その部分への理解は絶対に必要だと思う。

「弱いヤツは勝手に死ね!」という意見もあるかも知れないが、それらの意見は主流にはなってはいけないと思う。

法律的には犯罪。

『体罰』の問題が、前に話題になった時に、どこかで読んだのだが、指導的、教育的、どういう意味を含んでも、他者に向けた暴力は『犯罪』と読んだ。家庭内の躾であっても、暴力は犯罪だと聞いた。

実際、逮捕、起訴、裁判になるか?というのは別問題だけど、体罰という言葉がオブラートになっても、受ける側が肯定的に考えてても、犯罪は犯罪。淫行などの事例が分かりやすいかも知れない。合意があっても、年齢の区切りで問答無用で犯罪になる。

だから、何がどうあっても、暴力は犯罪。


しかし、それらを踏まえても、体罰を、それを行った教師を擁護する言葉が出てくるということも考えたくなった。ツイッター『まとめ』だから、色をつけられたり、色々と加工が加わっている。

発しされた文字は読めても、その心までは理解できない。だから、実は、擁護側の意見の根底にあるものこそが、理解するべきものかも知れない。

しかし、それらを踏まえても、暴力は犯罪。気持ちも、心もぶったぎるのが法律なのかも知れない。


しかし、オリンピックに絡めるのもあれだけど、国内にまだまだある指導・体罰のあり方が、オリンピック精神に照らし合わせてどうなのか?というあたりは、法律とは別の、国際化する中での世界からの目で、そっちも、問答無用なのかも知れないな。

スポーツが上手になるのに、暴力なしで、なれるのが一番だと思う。